I-2 フィラリアの生活環

@ 幼虫(ミクロフィラリア=L1)の誕生
フィラリアは他の寄生虫同様、複雑な成長経路を辿ります。特徴的なのは成虫にはオスとメス(その比率は♂1に対し♀4くらい)がいていったん受精したメスはその後継続して1日に2000〜3000匹の幼虫を産み落とす、ということです。
フィラリアは卵胎生なので、ミクロフィラリアは薄い皮膜に包まれた形(被鞘幼虫)で、成虫の体内で成長してから血流中に放出されます。
この時の幼虫は体長が0.2oと肉眼では見えない大きさしかありませんが、すでに被鞘を失い成虫と同様に細長い形をしています。 これはミクロフィラリアが犬の毛細血管を通り蚊の吸血管を通っていくのには、何よりも細さが要求されるためだと思われます。
産み落とされるミクロフィラリアの数は膨大ですから、多数のメスが寄生する犬の体内には1,000万匹を超える幼虫がいることも珍しくないそうです。

ミクロフィラリアの顕微鏡写真(×40)

ミクロフィラリアはミクロと呼ばれるからと言って成虫をそのまま小さくしたものではありません。幼虫は5段階
L1からL5(ヤングアダルト)まで段階的に脱皮をしながら成虫になります。この5段階をL1〜L5と呼ぶことになっていますので、ここでもその呼び方を使います。(Lは幼虫Larvaの略)

成虫から産み落とされた大量の幼虫、ミクロフィラリア(L1)は犬の血管中を流れながら、蚊に吸われるのを待ちます。
(日本にいるどの種類の蚊もフィラリアを媒介します。)
このL1は普通に生きている限りどんなに数がいても犬の健康にまったく害を及ぼさず、蚊に吸われて犬の体外に出られなければ、1〜2年程度で自然に死滅します。 死滅したL1は白血球(食細胞)によって細胞内に取り込まれ消滅してしまいます。

前述のように1匹のメス成虫は2年から5年に渉って、毎日2000〜3000のL1を産み続けるといわれていますから、L1の犬の体内での寿命を700日(約2年)として、150万〜200万のL1を供給し続けることになります。
したがって、10匹のメスが体内に棲みつくだけで、いずれ2000万匹のL1がいる状態になります。いずれにしても重感染している犬の体内には膨大な数のL1が存在します。血液1ml(1cc)あたり40,000以上のL1がいる状態を重感染と定義している専門サイトがあるほどです。

普段無害なL1が犬に害を及ぼすのは皮肉なことに、大量のL1が存在する環境でフィラリアの予防薬(特にミルベマイシン・オキシム)を大量に与えられて急速に死滅した場合です。
沢山の成虫が寄生する犬に、いきなりミルベマイシンなどを投与してミクロフィラリアを急激に死滅させると、食細胞の働きが追いつかずに死骸が毛細血管をふさいでしまったり、それまで症状を示さなかった犬であっても肺動脈にいる成虫が心臓に移動するきっかけになり、大静脈症候群を引き起こすこともあるとされています。
しかし、これはあくまでもミルベマイシンを大量に与えた場合であって、他の予防薬成分であるイベルメクチンやモキシデクチンを通常の健康状態の犬に規定量を与えただけではこのようなことは滅多にありません。
それまでフィラリア予防薬をもらえず長期間に渉り大量の成虫が心臓や肺動脈に寄生するのを許してしまった犬は、常に後大静脈症候群ケイバル・シンドローム(Caval Syndrome)や,大静脈症候群(venae avae syndrome)という急性死亡リスクを抱えていますが、寄生数はさほど多くなくても他の理由で心臓が弱っている犬にとっても成虫の寄生は大きなリスクになります。


A 蚊への旅(L1からL2、そしてL3へ)
さて、蚊が飛び回る季節になると、犬の体内の多数のL1の中から蚊に吸われて、犬の血液から蚊の体内に移るL1が出て来ます。
犬の血を吸う寄生虫はノミやダニなど他にもいますが、L1は蚊以外の寄生虫の体内では成長できません。
L1から見れば、「蚊に吸われる」(犬に寄生する前段階として蚊に寄生する)ということが今後生き延びて成長するための絶対条件です。
そのために、L1は犬が蚊に吸われやすい夕方になると皮膚表面の末梢管に移動して蚊に吸われるのを待つと言われています。
夕方の抹消血管には日中の5〜10倍、時には50倍のミクロフィラリアが集中します。
血液に浮遊する体長0.2mmに幼虫がどうして時間の経過や皮膚表面の方角が解るのか、自然の神秘の一つではあります。 (この現象は、ミクロフィラリアだけの話ではなく他の寄生虫にも見られるそうです。)
蚊の体内に移ったL1はそこで成長を開始し2〜3日で脱皮してL2になります。
このL2が成長するのには蚊の体内にいるだけでは十分ではなく、外部の気温の影響を受けます。
27℃以上の気温なら2週間で別の犬の体内に移れるL3(感染幼虫)に脱皮しますが、それ以下だともっと日数がかかります。
また、
成長のためには気温(=蚊の体温)が14〜15度以上になっている必要があり、それ以下だと死滅してしまいます。
ミクロフィラリアがいくら小さいといっても蚊からみれば大きいですから、 1匹の蚊の体内に寄生できるミクロフィラリアは普通10匹
以下です。
蚊は別にミクロフィラリアを吸いたくて吸血しているわけではありません。 多くのミクロフィラリアを吸ってしまうと、蚊自身が死亡してしまいます。L3段階の幼虫は体長1oまで成長し、蚊の器官を通り抜けられなくなることがあり自分だけでなく蚊も殺してしまうことがあるそうです

B そして別の犬に・・
2週間以上経過し脱皮をして、犬に移っても成長できる段階になったL3は、蚊の口吻付近で蚊が吸血する時を待ちます。
蚊は他の動物の血を吸う前にその動物の皮膚感覚を一時的に麻痺させる成分を放出するので、その時にごく小さな水滴が皮膚上にできますが、L3はその水滴と一緒に犬の皮膚に移り、水滴が乾いてしまう前に主に蚊の作った刺し口を通って、犬の皮膚下まで到達するそうです。
L3は蚊が吸血する前に放出されるので、吸血先が人間であるか犬であるかなどはL3も運次第だといえます。
個々のフィラリアの生活環は、L1が犬の体外に出るときに蚊以外の虫に吸われたら「そこでおしまい」だったように、人間に移ったフィラリアの生活環はL3段階でおしまいになります。
L3は犬以外にも、猫、フェレット、狼、コヨーテ、アライグマ、タヌキ、キツネ、変わったところでは暖かい海に住むアシカなどの海獣にも感染します。
猫フィラリアの感染は犬フィラリアと同じフィラリア幼虫によって引き起こされます。
しかし、猫に迷入したL3は成長して成虫になってもせいぜい10p程度にしか大きくなれませんし、幼虫も産めません。体内での寿命も1〜2年程度(犬の場合は5〜7年)とされています。
寄生された猫にとって非常に危険な寄生虫には違いありませんが、幼虫が産まれないので猫が新しい感染源になることはありません。
(猫の体内でも稀に幼虫がいることもあるという報告もありますが、確率的には無視できるものだと考えられます。)
人に感染することは非常に稀であり、wikipediaによれば世界中で80例が知られているに過ぎないとされていますが、診療時に発見されないものや誤診を含めればもっとずっと多くの感染実例があるだろうという見方もあります。
人間に寄生するフィラリアはアフリカと中米に見られるオンコセルカ (Riverblindness、河盲症)がよく知られていますが、これは犬のフィラリアとは別種であり、ブヨによって媒介されます。
非常に深刻な寄生虫ですが日本には存在しません。
オンコセルカ・メルク家庭の医学


C 侵入成功!
いったん、犬の体内への侵入に成功したL3は、その75%が成長出来るとされています。今までの、非常に低い生存率からすれば驚異的な高率です。
侵入したL3は、そのまま肺動脈に移動するわけではありません。
皮下に1週間程度留まったまま、再度脱皮をしてL4(体長1.6mm程度)になり、今度は胸や腹の筋肉に移り50ー60日ほどかけてL5になりますが、これはもうヤングアダルト(未だ生殖能力のない未成熟虫:immature adult)であり、ここまで成長してはじめて血流に運ばれ、血液の中で成長しながら心臓を通過して最終的には肺動脈に住み着きます。
肺動脈に到着したときの体長はすでに3cmに達しています。(L4は皮下に留まったまま、L5になって血管中に移動すると説明されているものもあります。)
一般的なフィラリア予防薬は
蚊から移ったL3段階とその後のL4段階の幼虫を駆除し、L5になることを防ぐようになっています。
なお、蚊から感染してから肺動脈に住み着くまでの6〜7ヶ月間はprepatent periodであって、動物病院で行う「投与前検査」ではまったく検出できません。(投与前検査で分かるのはあくまでも「成熟した♀の成虫がいるかどうか?」だけです。)
したがって、予防薬のシーズン投与が終わった冬の間に感染があっても、春の投与前検査時点ではまだ成虫になっていませんから検出できないということです。(事前検査の方法と信頼性については別のところで述べます。)
事前検査とは何か?

D 成虫になった!
肺動脈に住み着いたフィラリアは急激に大きくなり、その後3〜4ヶ月で、♀では30cm、♂では23cm(コイル状に巻かれた尾状の部分を含む)ほどの成虫になります。
最終的に感染してから6〜7ヵ月後に交尾をしてミクロフィラリアを産むようになり、生活環の長い旅は完了し、次の世代に引き継がれます
中間宿主であるメスの蚊は、一回に自分の体重ほどの血を吸うと言われていますが、その血を得るために、空中を飛びエネルギーを消費して、その間に鳥の餌になってしまう危険や、運が悪ければ人を刺そうとして叩き潰されたり、殺虫剤をかけられたりします。当然ながら、そうなれば蚊の体内にいるL2やL3は、蚊と運命を共にします。
犬の皮膚下にいる段階のL3〜L4にまで辿り着いた幼虫の生存率は飛躍的に向上し、感染したL3の75%が成長すると申し上げましたが、、この段階で犬にフィラリア予防薬が与えられれば100%が死滅してしまいます。
しかし、L5まで成長し、血管の中にいるミクロフィラリアには予防薬の効果は限定的であり、もう怖いものはありません。
L5にとっては一番怖いイベルメクチンを通年投与してもらえる犬は稀です。
「血液中の寄生」という環境は宿主の血液というこれ以上ない栄養分が保証されているだけでなく、成長に最適な一定の温度
(体温)が保証され、いかなる天敵も存在しません。
細菌やウィルスの侵入を想定した白血球や抗体など体内防御システムでは、フィラリアは大き過ぎて歯が立ちませんから、犬が
自己能力でL5や成虫を排除することは不可能です。


E フィラリア成虫の生活
L5として血管に入ってから半年で肺動脈に達した成虫は、続々と幼虫を産みながらその後4〜6年の寿命を満喫することになります。(ただし、幼虫を産むにはその前に交尾が必要であり、同じ犬の体の中にオス・フィラリアのいることが前提になりますが、♂は全体の5匹に1匹しかいないので、数匹の寄生であればミクロフィラリアの産まれる確率はそんなに高くありません。
♀ばかりの宝塚状態ということもあり得ます。
すでにお話したように、犬が毎年蚊に刺され、新しく感染を積み重ねることで成虫の数が過密化すると成虫は肺動脈だけでなく、心臓にも溢れ出すようになり、犬にとって非常に危険なものになります。
Heartworm in action
フィラリアは英語でheartwormと呼ばれますが、これは誤解を招きやすい言葉です。フィラリアの成虫が主に住むのは肺動脈(Pulmonary Artery)であって、心臓ではありません。したがって、犬への健康被害も当初は肺動脈損傷の影響(動脈壁細胞の損傷による肺動脈硬化など)が生じますが、肺動脈にいる少数のフィラリア成虫による健康への影響は一般に軽微であり、このレベルでは症状としてはっきり現れることはありません。フィラリアの致命的な被害は成虫が心臓にまで溢れるほどの数に感染されてから生じるのが普通です。
肺動脈に寄生しているだけのフィラリア成虫を駆除薬で駆除すべきかどうかは、臨床獣医師の間でも判断の分かれるところですが、「それ以降の感染を予防薬で防ぎ、成虫が自然に死滅するのを待つ」のが大勢です。
成虫の駆除薬には比較的副作用の少ないものも開発されていますが、それでも安全に使用するためにはいろいろと制約が伴います。
これも別のところで述べますが、予防薬に使われているイベルメクチンを2年間継続投与すると成虫の寿命が半分以下になってしまうということが分かっており、危険を伴う成虫駆除薬を少数感染のケースにまで使う必然性は減少つつあるようです。
多数のフィラリア成虫が住み着いた場合などには、本来の棲家である肺動脈から隣の心臓(右心室)にはみ出し、更には大静脈にまではみ出してしまうこともあります。(フィラリアで死亡する犬は、当然多数のフィラリアに寄生されているので、成虫が心臓からも見つかります。フィラリアが初めて報告されたのは1847年アメリカでのことであり、当初はフィラリアの生活環も分かっていませんでしたから、そのためにHeartworm という名前で呼ばれるようになったのだと思われます。)


犬がフィラリア幼虫を持った蚊に刺されれば刺されるほど感染リスクの増加するのは当然ですが、これも今まで述べたように、感染して成虫が寄生するようになってもすぐに犬の健康状態が変化して寄生が表面化するわけではありません。
フィラリアが本当の恐ろしいのはこの点で、徐々に犬の体を蝕んでいくために、飼い主さんの方で気付かなかったり、気づいてはいても予防がおろそかになりがちなことです。
少数のフィラリア寄生であれば、飼い主さんが症状に気付かない程度の症状のまま一生を終えることのできる犬も沢山いますが、多くの場合、犬のすむ環境はその一生で大きく変わらないので、毎年蚊に刺される犬は毎年フィラリアの侵入を許すことになります。
しかし、絶対に蚊に刺されない環境を作ることは難しくても、フィラリアは予防薬を与えれば100%寄生を防げるものですから、犬の健康を願う飼い主さんにとってその予防は義務だといえるでしょう。
(予防が義務だということと、だから法外な価格でも文句を言わずに買え、ということは別問題です。
このことについては項目を改めて説明します。) フィラリア予防薬はなぜ高いのか?

ここまでの話を整理すると下記のような図になります。
成虫が幼虫を産む 蚊が吸血するとき血液と一緒に蚊に移る 蚊が別の犬を刺す時に犬に移る 犬の動脈に移る 犬の心臓を通って肺動脈に移る
成長場所 犬の体内(血管) 蚊の体内 犬の皮膚下(L3)→
胸や腹部の筋肉の中(L4)
動脈の中で泳ぎながら成長する 主に肺動脈(数が多いと心臓右心室
に定着する
幼虫の段階 L1 L2→L3 L3→L4 L5 成熟成虫
成長時間 蚊に吸われないと
2年間で死滅
2-3週間
(気温により変動)
50-60日 120-150日 5年
駆除方法 ミルベマイシン(急速)
イベルメクチン(緩慢)
モキシデクチン(作用なし)
予防法なし フィラリア予防薬 成虫駆除薬または
またはイベルメクチンの長期投与
成虫駆除薬
またはイベルメクチンの長期投与



感染の進行度と典型的な症状(全米フィラリア協会による)
感染進行度 典型的な症状
初期感染Early Infection Class 1 無症状(血管)
軽感染Mild Desease Class 1 せき
中度感染 Moderate Deasease Class 2 せき、運動不耐性、肺音の異常
重度感染Severe Desease Class 3 せき、運動不耐性、肺音の異常、呼吸困難、心音の異常、肝臓の肥大syncope(脳への血流不足
から来る一時的な意識喪失)、腹水、死亡
大静脈症候群 Caval Syndrome Class 4 せき、運動不耐性、肺音の異常、呼吸困難、心音の異常、肝臓の肥大、syncope(脳への血流不足から来る一時的な意識喪失)、腹水、血色素尿を伴う突然の昏睡または無気力、死亡
血色素尿hemoglobinemia,hemoglobinuria=赤血球が血管内で異常に多く破壊されて、血液中に多量の血色素が遊離し、腎臓での再吸収が十分行われないで尿中に排泄される状態。

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